Pass the Baton! 【005】 川本 睦子 (MUTSUKO KAWAMOTO)

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Pass the Baton! 005は広島より
川本睦子さんのインタビューをお届けいたします!

プロフィール

MUTSUKO KAWAMOTO
川本睦子

Mutsuko Kawamoto

Mutsuko Kawamoto

広島市出身。

詩吟の総師範だった祖父と、美空ひばりを敬愛する母の影響で幼少のころからマイクを離さなくなる。小学校時代3年間をニューヨークで過ごす。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)軽音楽部でヴォーカルをはじめ、ニューヨーク短期留学をきっかけに「ジャズ」に傾倒。 学生時代からプロ活動を始め、関西若手ジャズミュージシャンによる「JAZZ LAB.」プロジェクトの中心メンバーとして活躍する。

2008年、自身のリーダーバンドである『ムツカルテット』でCDデビュー。2009年に長女を出産、音楽活動を休止。2010年に広島に拠点を移し、少しずつ活動再開。 2012年、日本を代表するジャズギタリスト竹田一彦トリオをバックに歌ったソロデビュー作『ライブ・アット・ミスターケリーズ』を発売。各メディアから称賛を受け、同年ジャズのポータルサイト人気投票で女性ヴォーカリスト部門第1位に選出される。2014年にはアメリカ・ニューオリンズのフレンチクオーターフェスティバルに出演。美しく繊細な表現と力強いスウィング感を合わせ持つ、本格派のジャズヴォーカリストとして、注目を集めている。

ヴォーカリストしての活動の他にも、情報発信メディア「ジャズじゃけん広島」の主宰、「湯来ジャズフェスティバル」や「フラワーフェスティバルジャズステージ」の開催などその活動は多岐にわたる。2013年には「Muzic Jazz Singing」を開校。豊富な語学知識を活かし、発音主体のレッスンやワークショップを展開、後進の指導にも当たる。また、一児の母として、親子で楽しめるジャズコンサートの企画にも積極的に動いている。

 

ディスコグラフィ

(画像をクリックしていただくとご購入可能なサイト、Amazon.co.jpストアをご覧いただけます)

Something Lost / Noctiluca
JAMUZZ Records. (2015)

Noctiluca

Noctiluca

Live at Mr.Kelly’s / Mutsuko Kawamoto
JAZZ LAB. RECORDS (2012)
ライブ・アット・ミスターケリーズ

 

 

インタビュー

 

  • どのようにジャズを歌う勉強を重ねてきましたか?

 

最初は音楽のことはまったくわからず、ヴォイストレーニングも受けたことがなければ、1小節という単位もわからない程度でしたので、大学のジャズ研の人たちに音楽の基本を教えてもらっていました。

しかしサークル内にヴォーカルが一人もいなかったので限界を感じ、ジャズシンガーの先生にレッスンを受け、基本を学びました。

広島に帰ってからは、自分の教室も開き、自分がもっとしっかりしないといけないと、音楽理論やピアノも少しずつ勉強しています。

また、Cathy Segal Garciaさんの単発レッスンや、定期的に行くようにしているNYでは Carol Fredette, Karrin Allyson のレッスンを受けました。どの方のレッスンも非常に刺激的で、素晴らしいものでした。

 

  • これまでの活動で苦労したことやその解決策を教えてください。

 

一番苦労したのは、活動拠点を変えたことです。

ジャズヴォーカリストとしてのキャリアの出発点は関西のディープなジャズコミュニティでした。わたしは音楽の学校には行ったことがなく、ジャズを始めたのは大学のジャズ研からなので、手探りで人脈を広げ、歌う場所を広げ、若手の中で刺激を受け合い、先輩にも可愛がっていただき、見よう見まねでなんとか上達していき、順調に活動を続けていきました。

そんな中で、プライベートな事情もあって地元の広島に帰ることになりました。音楽的な知り合いがほとんどいないところからの再スタート…。豊富な歴史と人材のある関西と、地元広島のジャズ事情はまったく違っており、まずその実情を自分の足で調べるところからの再出発でした。

ほとんどのお店に通い、ほとんどのジャズミュージシャンのライブを聴きにいくうちに、広島にはジャズシーンがあり、素晴らしいジャズクラブやミュージシャンが多くいるのに、紹介するメディアがないことに気づきました。

そこで、関西でかつてあった「ジャズやねん関西」を模した、広島のジャズライブ情報を発信するFacebookページ『ジャズじゃけん広島』を2011年に立ち上げ、以降現在まで毎日途切れることなく広島のジャズライブ情報を配信しています。

次に、ジャズフェスと名がつくイベントがないことに気がついたので、広島市の郊外にある温泉地にて「湯来ジャズフェスティバル」を2013年から主催しています。ミュージシャンの演奏する場がなければ、そして聴いてくださるお客様がいなければジャズは広がりません。最初はわたしたった一人の妄想でしたが、今では多くの方に支持・協力していただいております。

苦労もありますし、歌以外の業務が増えてしまったので大変ですが、音楽的な知り合いがいなかったわたしがこうして広島でジャズが歌えているということは、広島にジャズシーンを築いてこられた先輩方がたくさんおられるということ。

次世代につなげるために恩返しの気持ちも込めて続けています。シンガーとしての活動では表しか見えていなかったので、裏方のすべてをやらなければならないこういった活動は、自分の歌の説得力や表現力にもプラスに働いていると感じています。

 

  • ジャズボーカルを教え始めたきっかけは?

 

きっかけは大学時代。通っていた大阪外国語大学で、わたしの専攻語は中国語でした。中国の方々は自分たちの言葉の発音の美しさへのこだわりが非常に強く、入学してから数ヶ月、授業では発音演習ばかり続いて、まったく会話の段階に入っていきません。最初は退屈で仕方がありませんでしたが、のちにそれがものすごく良かったということに気づいたのと同時に、英語専攻の友人たちの発音の悪さに気がつきました。

もともとわたし自身が帰国子女で英語の発音はネイティヴレベルだったこともあり、中国語でやった要領を活かして英語専攻の子に英語の発音を教えはじめました。聞けば英語専攻では発音の授業はほぼないとのこと。

大学から中国語を始めて中国でネイティヴに勘違いされた経験を持つわたしは、これっておかしくない?と疑問を持つようになり、わたしのエデュケーター人生がはじまりました。

そのうちジャズヴォーカルを志す方々に発音を教えはじめ、それだけでは足りないと感じるようになり、発音を基礎として各ジャンルに対応したヴォイストレーナーとして、そしてジャズエデュケーターとして広島で自分のスタジオをメインに活動しています。

 

  • エデュケーターとしてはどんなトレーニングを積みましたか?

 

英語の発音が良いからと言って他人に教えられるものではありません。

名プレイヤー名コーチにあらずという言葉もあるように、当初は何が問題なのかがわからず、市販されている英語発音関係の本をほとんど読み漁り、レッスンで実践。その繰り返しでした。

やっていくうちに共通する間違いが日本語やカタカナ英語由来のものが多いことに気づき、日本語の歴史や発音についての知識の必要性も感じて、日本語や漢字について今でも勉強を続けています。

また、2015年にSan Diego にて行われたJEN(Jazz Education Network)のカンファレンスに参加し、ジャズ教育についてリサーチ。JENには今後も参加したいと思っています。

また、広島は地方都市なのでどうしてもジャズヴォーカル人口がそれほど多くなく、ヴォイストレーナーとして性別年齢問わず教える機会が増え、知識の必要性を感じて New York Vocal Coaching の Teacher Training Course を2015年に3ヶ月間受講しました。

ジャズを歌うということは英語を歌うことで、英語と日本語は根本的に発声から違います。声を学ぶことでジャズヴォーカルを教える上での多くのヒントを得ました。

 

 

  • エデュケーターとしての活動で一番大切にしていることは?

 

生徒に情報を与えすぎないことです。

もちろん教える側はすべて把握していないといけませんが、レッスンの目的はあくまで生徒さんの上達。その人の今の状態で必要な情報を、その人に必要なだけ提示するようにしています。

ジャズヴォーカルは自由なものだから、個人の自主性を他ジャンルより重んじる音楽だと思います。

こちらからある程度導いていくことは必要なことですが、選曲などは任せていることも多く、アニメソングなど思いもかけない曲を持ってこられることがあります。

それでもジャズヴォーカリストからの観点からのアドバイスで驚くほど良い歌になるし、その生徒さんが理解できる角度からの指導を大切にすることで、音楽そのものが上達していくのではないかと思います。

 

  • 自分のレッスンの良さや、ユニークな点はどんなところですか?

 

ジャズヴォーカリストとしての技術の基礎は、発声と英語の発音。

この二つが土台としてあって、そこからやっとスタートだと思っています。そういう意味においては日本人にはより多くのハードルがあります。

わたしのレッスンでは発音・発声、リズムトレーニング、そしてインプロヴィゼーションに取り組んでいきますが、一番比重が大きいのは発音です。

アメリカ英語と音声的にもっとも遠いといっても過言ではない日本語を母国語とするわたしたちは、どこまでいっても発音を学び続けていかないといけないと思います。

 

  • エデュケーターとして将来の目標や今後の抱負などお聞かせください。

 

 

現在、広島市の自分のスタジオをメインに活動していますが、将来的にはいつか自分の経験を学術論文としてまとめたいのと、本を出版することが目標です。

ジャズヴォーカリストとして英語の発音を考えるうちに、多くのことに気が付くことができました。自分の中の知識だけで留めるのではなく、少しでも社会のお役に立てるような形にしたいと思い、YouTubeに動画を不定期にUPしていますが、そちらのほうも、さらに歌う人の役に立てるように工夫したいですね。

また、各地で単発の発音ワークショップを行っていて、最近では歌わない人向けの内容も行うようになりました。日本全国へ出張したいですね。

 

  • CDなど作品について教えてください。最新作のコンセプトは?

 

最新作の “Something Lost” というのは、ジャズをベースにしたオリジナルがメインのバンドの作品です。

昭和の懐かしさもあり、ジャズ的な緊迫感もあり、独特の浮遊感がある日本で今生きるわたしたちの音楽です。

わたしはヴォーカルというか「声」という楽器として参加しています。このバンドのためにオリジナル曲も2曲書きました。

 

  • レコーディングの環境はどのように決めましたか?

 

メンバーの山本昌広が音楽活動をやめるということで、急なレコーディングのため、スタジオでじっくり録音する時間がありませんでした。

そこで急遽広島の「音楽喫茶ヲルガン座」でのライブ録音を敢行。

録音技師に五島昭彦さんを関西からお呼びし、空気を丸ごとマイクたったの2本で録っていただきました。

ライヴの良さがそのまま入っている作品になりました。

 

  • アートワークについても教えてください。

 

ジャケットの写真は大阪のフォトグラファー岡タカシさん、デザインは広島の二井野宏紀さんにやっていただきました。

写真はもともとジャケットのために撮影したわけではなかったのですが、この写真がどうにもこのアルバムの音楽を表していると思ったので、ジャケットに採用しました。

デザインしてくださった二井野くんは、彼の作品がいい意味での気持ちの悪さを持っていて、ピリッとした毒を少し盛り込みたかったので、デザインとともに「意味のわからない絵」というオーダーをしました。

結果として、音楽とデザインが素晴らしいマッチングとなっており、とてもお気に入りです。

 

  • 最後に、ジャズファンのみなさん、他のシンガー・ボーカリストのみなさん、またはJVAJの活動へのメッセージをお願いします。

 

音楽、とりわけジャズヴォーカルは一生勉強が続きます。

こういったサイトでさまざまな人たちの活動や考えていることを知ることができるのは、大変刺激になり有意義な活動だと思います。

わたしは歌う人が大好き。わたしのまだ知らない歌を、もっともっと知りたいです。