Pass the Baton! 007はニューヨークより
霧生ナブ子さんのインタビューをお届けいたします!
プロフィール
NABUKO KIRYU
霧生ナブ子/ Nabuko Kiryu
尚美学園短期大学・作曲科専攻卒業後、ニューヨーク市立大学ジャズヴォーカル専攻卒業。クイーンズ大学 大学院ジャズヴォーカル専攻修了。
96年に渡米してから、ビー・バップ の伝道師として知られるジャズピアニスト,バリー・ハリス氏、ジャズヴォーカリストのシーラ・ジョーダンに師事。
2003年にWhat’s New Recordsから「シンギング・ラブ」CDアルバムで日本のジャズ界にデビュー。しかし、NYを起点に活動を続けている。NYのブルーノート、 レノックスラウンジに出演し、現在はハーレムで老舗のショーマンズやレストラン「Nabe-Harlem」で毎週土曜日ブランチに出演している。
ジミー・ ヒース(サックス)、バリー・ハリス(ピアノ)、ベニー・グリーン(ピアノ)他、多くのジャズミュー ジシャンと共演。日本でも凱旋ツアーを行い、日野皓正(Tp)とも共 演。又、米国でもテキサス、フロリダ、カンサスシティでもコン サートを公演。カナダ、スイス、ポーランドなど、世界的な規模で音楽活動を行っている。
又、バリー・ハリス、シーラ・ジョーダン、ジョン・ヘンドリックスなどが来日の際、通訳を務めつつ共演している。
ジェームス・ゾラーのアルバム「ゾラー・システム」ではオリジナル作 品「Take the Subway Home」「ご縁」の2曲を提供、シンガー、アレンジャーとしても参加。
ジェームス・ゾラーのアルバム「It’s All Good People」でも 「Kansas City Cha-Cha」で楽曲を提供、「Año Nuevo」ではシン ガーとして参加している。太田寛二「アワ・ジャズ・ファミリー」では「イースト・オブ・ザ・サン」「ストリクトリー・コンフィデンシャル」にシンガーとして参加。
2016年秋には新作CD「リアル・ライフ」を2作目のリーダーアルバムとしてリリース予定。
ディスコグラフィ
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- リーダーアルバム
Singing Love / 霧生ナブ子
What’s New Records (2003)
霧生ナブ子 インタビュー
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あなたにとってジャズとは?
毎日の生活です。
歌うこと、聴くこと、弾くこと、食べること、友達と遊ぶこと、毎日の日常すべてジャズに関わってると思います。
今日、冷蔵庫に何が入ってるか?それによってと自分が何を食べたいか?そんな、その時に状況によってご飯を作るのと同じように、今日は、どんな天気か、季節か、気分か、などに左右されて歌ったりします。仕事になろうが、なかろうが、歌っています。
ジャズとは、そういう「生き方」ではないか?と思っています。
音楽的に言えば、スウィングしてるもの、ジャズ共通の伝統の上でのもの、インプロヴィゼーション、などで表現された芸術、だと思っています。
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ジャズを歌うことのどんなところが好きですか?
歌いながら、映画でも見ているかのように、曲が持っているその世界に引きずり込まれ、感情を揺さぶられるところです。
ジャズを歌うことで、辛い時や悲しいとき、どれだけ救われたか?!と思います。
ジャズを歌う時、その曲を歌ってきた人達の魂に背中を押されて歌っている、ような感覚が好きです。
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どのようにジャズを歌う勉強を重ねてきましたか?
歌う前に、日本では尚美学園短期大学作曲専攻だったので、ここで音楽理論、作曲、ピアノ、ジャズアレンジなどを学んでいました。この時、副科ヴォーカルを取ったのがスタートだと思います。
アメリカに住む前は、好きなシンガーのアルバムや曲を同じように歌えるまで一緒にかけて歌っていました。歌詞は日本語訳でここを歌ってる時はこんな感情、と言葉は話せなくてもフィーリングを入れて歌う事を心掛けてました。歌をやる前にピアノを弾いていたので、覚える曲の楽譜でメロディやコードがオリジナルはどう書かれていたかを必ずチェックしていました。
NYへ移住してからは、バリー・ハリスさんのクラスで学びました。96年に渡米して以来ずっとクラスを受けています。(20年)
同時にNY市立大学でシーラ・ジョーダン、マーク・マーフィー、ジェイ・クレイトンに師事しました。渡米してからゆっくりですが英語と生活が密着する環境になって、今まで歌っていた曲の歌詞が直接心に響くようになって来ました。
大学では、他の楽器専攻の学生達と対等にインプロビゼーションしなければならなかったので、その為の知識を学びそれまでただ歌うだけでやってなかったスキャットなども自然にやるようになりました。
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ロールモデルにしているエデュケーターやメンターは誰ですか?
Barry Harris (バリー・ハリス)です。
素晴らしいピアニスト。ビバップの継承者。
そして、ヴォーカリストではSheila Jordan(シーラ・ジョーダン)です。
2013年にJon Hendricks(ジョン・ヘンドリックス)の日本招聘でアシスタントをやらせて頂き、彼の影響も受けています。
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ニューヨークでどんな苦労をし乗り越えてこられたか、素晴らしい先生方とのエピソードも含めぜひお聞かせください。
英語が酷くて、本当に苦労しました。私の英語の出来なさ加減と言ったら、中学校や高校の友人なら、現在こうして私がNYで暮らしてるなんて、信じられないと思います。とにかく勉強が苦手だったんです。試験で点数が取れないタイプ、というか。
でも、つたない英語でも、友人を作ったりNYに来て1年くらいでカフェやレストランで歌っていました。NYはレストランのオーナーさんなども外国人が多く、私たちのような外国人にも好意的でした。
アフリカ人兄弟(ギターとアフリカの楽器)のバンドに雇われてジャズを歌ってましたが、彼から連絡があって「来週から僕たちは行かないよ。国に戻ってしまったから。」と言われ、絶句。オーナーに状況を説明したら「じゃあ来週からあなたのバンドでやってください。」と言われ、そのイタリアレストランで毎週土曜日レギュラーで歌いだしました。今考えればあんなにつたない英語だったのによく使ってくれたなぁと思いますが、歌う仕事を頼まれたら、断ったことは無かったです。「これでやっていく!」という逞しさがありましたね。笑
まず、NYに来て最初から何もわからなくても、バリー・ハリスのワークショップに行っていました。当時、タイムズスクエア48th Stの楽器屋街の中のサックス専門店を使って月曜と火曜、週に2回クラスが行われていて、両方欠かさず行っていました。
秋にシンフォニースペースという大きなホールでバリー・ハリスのコンサートがあり、そこにコーラス隊として参加しました。
とにかく、全てが新しいやったことのない経験で、コーラス隊は混声4部の合唱団、その他に、ビックバンド+ストリングス+室内合奏団+タップダンサー+子供の合唱団という前代未聞の編成で、数ヶ月のリハーサルで曲も全部暗譜で覚え、そのコンサートの豪華さと言ったら、口では説明出来ません!すべて終わって、みんなでお疲れ様!となった時、あまりの感動に号泣!
バリーさんの音楽の世界はとにかく「美しい、愛に溢れた世界」で、現在も毎週火曜日にNYではワークショップが行われていますが、6時からピアノクラス、8時からヴォーカルクラス、10時からすべての楽器(ヴォーカルも含む)の為のインプロヴィゼーションクラスが12時まで続き、クラスは1つ受けようが全部受けようが$15というありえない安い値段で行われています。それは、お金が無いからクラスが受けられない、という言い訳は無し!という前提を作っているのだそうです。
クラスは説明し出したら大変長くなってしまうので、ここでは説明しませんが、独特なメソッドがあり、YouTubeなどにもたくさん出てるようなので、チェックしてみてください。何より、彼のピアノの音色のキラキラと美しいこと。そして、これぞジャズ!というサウンドです。
シーラ・ジョーダンには99年にNY市立大学に入ってすぐジャズヴォーカルのクラスで習いました。
他の学生に比べて歌う経験はあり、結構難しい曲も持って来るのに、英語が酷くて、シーラにはいまだにそのエピソードの話をされます。笑
彼女に教わった中で一番印象に残っている言葉は、「ジャズヴォーカルはストーリーを語ること、感情があることが最も重要、そして、ビバップを聴きなさい!そこにジャズの真髄があるの。」とよく言っていました。
「産気づいてきた時、クリフォード・ブラウンがタクシーに一緒に乗って病院まで連れてってくれたのよ。」とか、多くのジャズジャイアンツ達とのリアルストーリーを話してくれて。このような経験は何物に代え難い財産だと思います。
それと「他の仕事をして生活を立てなければならなくても、それでも良いから歌い続ける事。それが重要。ずっと歌い続けていなければ、いつの日か歌で生計を立てていけるようになる事もないでしょ?」この言葉には本当に励まされました。
いまだに、レッスンを教える、通訳、音楽プロダクションの裏方、レコーディングのコーディネーターなど、出来る事は何でもやりながら人生をサバイバルして、でも歌い続けています。なので、私も多くの方に「とにかく、自分のペースで良いので、歌い続けてください」と伝えています。
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もっとも尊敬するアーティスト、お気に入りの作品は?
ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、アニタ・オディ、カーメン・マクレイ、ダイナ・ワシントン、アビー・リンカーン、シャーリー・ホーン、アニー・ロス、シーラ・ジョーダン、ナット・キングコール、フランク・シナトラ、ルイ・アームストロング、ジョン・ヘンドリックス、デューク・エリントン楽団、カウント・ベイシー楽団、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、バド・パウエル、セロニアス・モンク、ホレス・シルバー、デクスター・ゴードン
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エデュケーターとしての活動で一番大切にしていることは?
自分のペースで良いので続ける事!を励ましています。
続けていないとわからない事があると思います。継続は力なり。
レッスンは体験なので、一緒に高いハードルを越えるチャレンジをします。失敗するリスクがあっても、レッスンで何度もチャレンジして越える事で次のステップへ導くと信じています。
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製作について
- 過去のリーダーアルバム以外の作品についても教えて下さい。
太田寛二 “If You Could See Me Now” に”Yesterday’s” で参加(2002)
We Two / Nabuco Kiryu & Larry Ham West Village Music (2004)
James Zollar “Zollar Systems” に”Take the Subway Home” “Go-En (ご縁)”で参加 (2009)
Our Jazz Family / Kanji Ohta & The Jazz Family With Jimmy Heathに
“East Of the Sun” “Strictly Confidential” で参加 (2012)
It’s All Good People / James Zollar に”Año Nuevo”で参加 (2013)
- 2016年秋に発売を予定している新作CD「Real Life」のコンセプトは?
今年はNYへ渡米して20周年なので、それを記念して人生を振り返るようなアルバムを作りたい!と思って制作しました。
どの曲も私のNYでの”Real Life”に携わってる曲ばかりです。
- 選曲やそれにまつわるエピソードなど、教えてください。
“Come Rain or Come Shine” は2015年の自らの結婚式で指輪の交換と同じように「曲の交換」をし、私が夫James Zollarに贈った曲です。
因みに彼が私に贈ってくれた曲「Call Me」は彼のアルバム”It’s All Good People”(2013) に収録されています。
友人でアート・ブレイキーの娘さん、エブリン・ブレイキーがいつも歌っていた”String Beans Blues/インゲン豆ブルース)は2007年に彼女が亡くなってお葬式の時に彼女を偲んで歌いました。それ以来、ずっと歌っています。彼女は糖尿病に苦しんでいたので、最初はハーゲンダッツ・ブルースで、「ハーゲンダッツは世界一美味しいアイスクリーム、だけど私は食べれない!」というブルースだったのです。
で、「インゲン豆をジュースにして飲むと自然のインシュリンが入ってる!みんなもインゲン豆ジュースを飲もう!」というインゲン豆ブルースになったのです。
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最後に、ジャズファンのみなさん、他のシンガー・ボーカリストのみなさん、またはJVAJの活動へのメッセージをお願いします。
ジャズを愛してくれて、ありがとうございます。 シンガー・ボーカリストの方、あなたの人生をあなたの声で、歌い続けて下さい。
その先には、あなたが決して想像もしなかった感動と喜びが待っています。あなたが「歌う」という事でどれだけ多くの人が幸せになることか。そして「歌う」事でより多くの出会いがあります。
「歌う」事は生きてる証です。
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