第4回は、ニューヨークより、シーラ・ジョーダンさんのインタビューをお届けします。
– わたしは、自分自身が音楽のメッセンジャーであり、この地球上でのわたしの役割は、ジャズという素晴らしい音楽を歌いたいと思っているすべての歌手たちに愛を与え、サポートすることだと感じています。 –
Sheila Jordan – バイオグラフィー
シーラ・ジョーダンはペンシルバニア州の炭鉱業が盛んな土地に生まれ、幼い頃より歌い始め、10代前半にはデトロイトのジャズクラブでセミプロとして活動を始めた。彼女は初期にチャーリー・パーカーの音楽に大きな影響を受け、実際に、彼女の音楽的な影響は歌い手よりも器楽奏者によるところが大きかった。チャーリー・パーカーは彼女らを教えたり、彼がデトロイトに来た時には彼女に歌うことを依頼するようになった。
1951年、ニューヨークに活動の場を移し、そこでレニー・トリスターノとチャールズ・ミンガスにハーモニーと音楽理論を学ぶ。1952年、チャーリー・パーカーのグループのメンバーでピアニストのデューク・ジョーダンと結婚。
その後、グリニッジ・ビレッジを中心に様々なジャズ・クラブで演奏やセッションを重ねたが、シングルマザーとなり娘を育てるためにジャズクラブでの演奏から退いていた時期もあった。タイピストとして20年ほど働きながら生活を支え、58歳になるまでフルタイムのミュージシャンとして音楽に専念することが叶わなかった。
1962年にジョージ・ラッセルとともに彼の作品「Outer View」(リバーサイド盤)に”You Are My Sunshine”を録音。ジョージ・ラッセルが録音の予定を決め、同年、彼女は自身のアルバム「Portralt of Sheila」を当時シンガーとしては初となるブルーノート・レコードより発表。1960年代初め頃から、その後長年にわたって共演を重ねるピアニスト、スティーブ・キューンとのデュオの演奏を始めた。
1974年、ニューヨーク・シティカレッジにおいて”教鞭をとるアーティスト”となり、1978年にはモダン・ジャズカルテットのジョン・ルイス、当時ジャズ科の主任教授であったエド・サマーリンらの提案で最初のヴォーカルジャズワークショップを始めた。マサチューセッツ大学での7月の最初の2週間に行われる”Jazz in July”と呼ばれるサマープログラムでも指導にあたった。また8月にヴァーモントジャズセンターで行われるわーショップや、その他国際的なワークショップを展開する。また、80年代半ばにはオーストリアのグラーツにある大学にて、ジャズヴォーカル科を立ち上げた。
1975年に「Confirmation」をレコーディング。翌年SteepleChaseよりアリルド・アンデルセンとの作品を製作・発表。1979年にスティーブ・キューン、ハービー・シュワルツ、ボブ・モージスらとカルテットを立ち上げる。1980年代の間はベーシストとのハービー・シュワルツとデュオの演奏・製作活動を中心に活躍した。
シーラは作曲家でもあり、ビバップとフリージャズの両方のスタイルで歌うことができる。前述のミュージシャンらとの作品以外にもGeorge Gruntz Concert Jazz Band (TCB, ECM), MA Recordings, Cameron Brown, Carla Bley (Escalator over the Hill) and Steve Swallow (Home)などの録音をし、ブルーノート・レーベル以外にもEastwind, Grapevine, SteepleChase, ECM, Palo Alto, Blackhawk,Muse.等多くのレーベルに作品を残している。
彼女は何年もの間、The Mary Lou Williams Award, The Nitelife Awardなど数々の賞を受け続け、2012年にはジャズで最も名誉あるThe National Endowment for the Arts Jazz Master Awardの受賞を果たした。
ヴォーカリスト、エデュケータであるEllen Johnsonが執筆した彼女のバイオグラフィー「Jazz Child: A Portrait of Sheila Jordan」が彼女の86歳の誕生日に合わせて2014年に出版された。
シーラ・ジョーダン インタビュー
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シーラさんこんにちは!何年もの間日本にいらしてくださり有難うございます。来日のきっかけはどういったことだったのですか?日本の、または日本で歌うことのどんなところが好きですか?
日本で歌うのは大好きです。初めて来日したのは、ベース奏者のハービー・ Sのbass and voiceツアーで共演したときでした。トッド・ガーファンクルがわたしたちの為にツアーをセッティングしてくれ、わたしたちは彼のレーベルからリリースするためのレコーディングもしました。
毎年、ピアニストのピーター・ミケリッチと一緒に日本に来ています。日本はほんとうに美しい場所で、わたしは日本の文化と人々のことを心から愛しています。
- ジャズを歌うことの一番の楽しみは何ですか?また、シーラさんのスタイルのよいところはどんなところですか?
わたしが歌うすべては、自分にとって最善のものです。
心の琴線にふれないものや、確信をもてない歌は歌いません。
メロディーはわたしにとってとても大切なものです。歌詞がよくなければ、歌詞を書き換えることもあります。まず、なによりも必要なのは、強靭なメロディーなのです。
わたしは自分の人生について歌い、自分が感じていることを歌にします。歌うとき、わたしはとても誠実です。おそらく私はバラードを歌うのがいちばん好きだと思いますが、すべての歌を愛しています。
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チャーリー・パーカーさんから言われたことや教わったことで、印象に残っていることやお気に入りの体験があれば、お聞かせください。
わたしが歌うことになったのはバード(注:チャーリー・パーカーの愛称)のおかげです。
幼いころからいつも歌っていたけれど、バードを聴くまで、自分がほんとうに歌いたいのがどんな種類の音楽なのか、まったくわかっていなかったの。
4つの音を聴いただけで、それが自分の人生を捧げる音楽だとわかりました。ジャズであり、チャーリー・パーカーです。わたしは永遠に彼に感謝するでしょう。
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ジャズボーカリストとして最も大切にしていることはどのようなことですか?
音楽を創るうえで一番心をくだいていることは、誠実でいることと、一緒に演奏する仲間を持つことです。
自分自身が音楽に対して感じているのとまったく同じ気持ちで音楽を創っています。
- レコーディングについてはいかがですか?CD製作、作品作りのご経験をシェアしていただけますか?その中で何がもっともよい経験でしたか?
スタジオで録音することは、わたしにとってはとても大変なことです。楽器奏者から遮断されて、ブースのなかに閉じ込められるのが好きではないの。
わたしがライブレコーディングのほうが好きなのは、そのためです。スタジオで録音するのはほんとうに好きじゃないわ。ブースのなかで遮断されていると、ブレスをするたびに自分の息の音が邪魔になるのがわかると思います。
1991年に、サンフランシスコのキンボールというところで、アラン・ブロードベントとハービー・Sとレコーディングしました。“Better than anything”というアルバムです。
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どのようにして日本で教えることになったのですか?日本の、または日本人の生徒さんを教えることのどんなところが好きですか?
ワークショップのほとんどは、日本から来た歌手たちが、コンサートをするために来日したときに日本でワークショップをしてほしいと依頼してくれたことから始まりました。ワークショップは、すべて、日本の素晴らしい歌手たちによって実現したものです。
彼ら/彼女らは、ほんとうに真剣に音楽を学ぼうとしているので、一緒に勉強するのは素晴らしいわ。ワークショップをしてみて、日本の歌手たちにとって一番難しく、勉強しなくてはいけないのは、英語だと思っています。
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指導者として最も大切にしていることは何ですか?
ジャズという音楽が、受け継がれ、生き続けるのをみたい。それがわたしが教える理由です。歌手たちに愛を与え、励ましたいの。
歌手たちが学ぶお手伝いをして、希望を与えるのは、わたしの天職だと感じています。自分本位の欲求や、自己顕示欲のために生徒たちと接しているのではありません。もしそんな理由からなら、わたしは教えないでしょう。
- どのように自分自身をクリエイティブに保ち、周りの人々に与えることを継続しているのか、教えて下さい。
わたしは、自分自身が音楽のメッセンジャーであり、この地球上でのわたしの役割は、ジャズという素晴らしい音楽を歌いたいと思っているすべての歌手たちに愛を与え、サポートすることだと感じています。自分が知っていること、感じていることを歌い、教えることは、わたしにとっては音楽への献身そのものです。
音楽的な創造性は、できる限り誠実に生きることと、自分の心と魂を、新しい感情やアイデアに自然にひらくようにすることから生まれると思います。
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最後に、ジャズを愛するいちばんの理由を教えてくださいますか?日本のシンガーたちに何かメッセージをいだだけないでしょうか?もし生徒さんの中からシーラさんを訪れたいという人が出てきたら、歓迎していただけますか?その他にも何かコメントがあればお願いします。
ジャズという音楽がわたしに与えてくれた自由を、わたしは心から愛しています。
ひとつの歌を、それが書かれた方法に沿って、正確に学ぶプロセスが大好きです。歌詞を覚え、意味する内容を知り、コードチェンジを聴いてください。
この音楽が持つ、はっとさせられる要素が大好きです。驚きは、歌をよく聴いて、自分が歌っている歌が何について歌ったものなのかをほんとうに理解したときに訪れるの。
歌うときに無理はしません。ただ、なりゆきにまかせて、信じるのです。わたしは、歌っているときに、何回か身体から離れた経験があります。言葉にできない、信じられないくらい素晴らしい気持ちです。あなたの歌とあなたは完全に肉体を離れることができるのです。それは、まるで浮遊しているようでもあり、音楽があなたから生まれているのだけれど、意識していないような感じなの。そうなったときは、ほんとうに信じられないくらい素晴らしい気持ちになりますよ。
日本の歌手たちにメッセージを届けるとしたら、インプロヴァイズしたり、変えたりする前に、まず、歌を書かれたとおりに正確に学んでくださいということです。そして、無理に変えようとしないでください。もともとのメロディーのほうが、あなたが無理やり変えようとしたものよりもいいことがよくあるの。
それから、日本の歌手たちにとって、とてもとてもとても大切なこと(訳者注:シーラさんはveryを三回も使っておられました)は英語を学ぶことです。歌にでてくるすべての単語を、どのように発音するのかを勉強してください。とても大切なことです。
そして一番伝えたいことは、挫けないで、歌い続けてくださいということです。
歌うことを決してあきらめないでくださいね。
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シーラさん、インタビュワーの由貴さん、ご協力どうも有難うございました!!
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インタビュワー日高由貴とシーラさんとの出逢いについて
シーラさんに初めておあいしたのは、2010年の12月に京都に公演に来られた際、アルバイト先のビジネスホテルにお客様として宿泊されたときでした。フロントで接客させていただいたときに、「わたしもジャズが好きで勉強しています」というと、わたしの歌を聴いたこともないのに、すぐに部屋に戻って一番新しいCD、”Little Song” を持ってこられ、プレゼントしてくださいました。
CDのジャケットには、ボールペンで”Keep singing”と書いてありました。CDは、シーラさんのルーツのひとつである、ネイティブアメリカンの歌のアカペラで始まり、同じ歌のアカペラで終わります。CDを聴いて、自分でもわけが分からないくらい、涙が溢れてとまりませんでした。
以前、シーラさんとお話していたとき、「ワークショップを通して、シンガーたちの間に美しい友情(beautiful friendship) が生まれるのを見るのが大好きなの」とおっしゃっていました。その言葉の通り、ワークショップでは、初めは緊張していたシンガーたちが、ブルースで自己紹介したり、お互いの歌を聴きあったり、シーラさんに笑わされたりしているうちに、いつのまにか仲良くなっています。
シーラさんは、お話しているときも、よくおどけて、歌っているように韻をふみながら話したり、即席で替え歌を作ったりして笑わせてくださいます。
英語でジャズを歌うということは、日本で生まれ育ち、大学に入るまでまったくジャズという音楽を聴いたことのなかったわたしには、どうしても特別なことに思えて、すこし身体が固まってしまうのですが、友達とおしゃべりしたり笑ったりすることと同じように、リラックスして楽しみながらジャズを歌うことの大切さをシーラさんから学んだと思います。