Pass the Baton!【014】斉田 佳子 (YOSHIKO SAITA)

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Pass the Baton! 014は東京より
斉田佳子さんのインタビューをお届けいたします!

プロフィール

YOSHIKO SAITA

斉田佳子 /  Yoshiko Saita

横浜市生まれ。6歳から神戸『小曽根音楽教室』にてハモンドオルガンを習い始める。16歳で単身渡米。米国バークリー音楽大学ピアノ科に入学。その後ヴォーカル科に転向。

卒業後、帰国し、スタジオミュージシャンとしてバックコーラス、CMソング、またジャズシンガーとしてライブ活動を始動。2000年宮川泰ビッグバンドでハワイ公演、2009年 櫻井弘二率いるオーケストラと台湾国立音楽堂コンサートにゲスト出演。ライブやイベント活動の傍ら、アルバム4枚リリース。教則本出版。

2013年リリースアルバム”Bluesette”では憧れのハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンスそしてトゥーツのサポートメンバーでもある、ケニー・ワーナー、オスカー・カストロ・ネヴェスらも迎え、夢のレコーディングが叶った。コーラスアレンジ、英語作詞まで手掛け、さらにFMラジオ番組のパーソナリティーなど、幅広い分野でファン層を広げている。

フェリス女学院大学音楽学部非常勤講師。

2017年9月24日より東京自由が丘にてVocal School DADA開校。

ディスコグラフィ

(画像をクリックしていただくとAmazon.co.jpストアをご覧いただけます)

Love’s The Greatest Mystery(2005) / What’s New Records
LOVE’S THE GREATEST MYSTERY

Bon Voyage(2007) / What’s New Records
BON VOYAGE

Bluesette (2013) / D-musica
BLUESETTE

 

著書:
今日から貴女もジャズシンガー (CD4枚付き) / リットーミュージック

今日から貴女もジャズシンガー (CD4枚付き)

 

斉田佳子  インタビュー

 

  • ジャズを歌い始めたきっかけは何ですか?

 

Jazzに触れたのはハモンドオルガンを習ったのがきっかけでジャズのアルバムも聴くようになり、10歳の頃、サラ・ヴォーンの「いそしぎ」を聴いたのがきっかけです。私は子供の頃から声が低く、唱歌のキーが合わず(笑)、音楽の授業で歌わされるのが苦手でした。が、こんな低い声の女性が世界的有名な歌手なんだ!!というのが、私の中で衝撃的でした。

中学生になると、独りこっそりJazz を歌い始めました。

お年玉で4トラックレコーダー購入(当時はカセットテープでしたよ)。1トラックに自分で伴奏を入れ、他の3トラックに歌入れ。どのテイクがいいか?と独りでVocalistごっこしてました。。。

友達がいないことにも気づかない変な子でしたね。。。苦笑

初めてお金をもらって歌ったのはバークリー時代,にボストン市内や郊外のレストラン、カフェでのGIG。交通費出るか出ないかのギャラでしたが。。。

 

  • どのようにジャズを歌う勉強を重ねてきましたか?

 

本格的に勉強し始めたのは、やはりバークリー時代ですね。

最初の2年間はピアノ科で、最後2年間で、思い切って本当はやりたかったヴォーカル専攻に変えました。

プライベートレッスンの他に、アレンジや作曲、イヤートレーニング、アンサンブルクラス。

先生から学び、宿題でテーマを与えられ、自分のプロジェクトに友達を呼んだり、友達のプロジェクトに呼ばれることも、無償だけど、呼ばれるミュージシャンになった気分でとても嬉しかった。いい経験です。

現在、大活躍している当時から上手い生徒が周りに沢山いたことがとてもいい刺激になりました。授業が終わってからの深夜までのセッション(学校内で)もいい勉強になりました。

そして、日本に帰って来てからはプロとして、たくさんの先輩ミュージシャンに学びました。

中でも一番影響を受けたのは、サックス奏者の山口真文さんです。

今までのように学生気分で己を知らず、冒険ばかりして支離滅裂になってはいけなくなってくるわけです。それでも結構、冒険していたのを見逃してくれていたと思います。

今でも、ずっとアドバイスをいただいています。

何を歌おうと良ければいい。それには曲への深い解釈が必要。それを表現出来る呼吸法、タイム、ピッチが大事だとのこと。経験を重ねる毎ににおっしゃている意味を深く感じます。

そのほかのミュージシャンとも共演を通して、曲の構成、イメージ、表現力、音の会話力、メンタルな部分まで、刺激を受け勉強になったり、心救われたりします。

 

  • ジャズを歌うことのどんなところが好きですか?

 

自由度があるところでしょうか、、、。

自分の心情やその時々、ミュージシャンによって同じ曲も別物になれる自由度。

ビッグバンドやコンボで、決まったアレンジにそって完成度をあげていくのも楽しいですし、またそこにいつも同じではない。そんな音の会話が楽しいです。

全く決めずに小編成、それもベースと私、サックスと私だけとかで、歌うことも、この頃楽しいです。

 

  • エデュケーターとして教え始めたきっかけは?

 

バークリー時代の先輩の紹介で、24歳の頃から、タレント事務所のヴォイストレーナーとして教え始めました。その後専門学校やカルチャースクール、ジャズスクールでも教え始めました。

きっと、子供の頃から小曽根音楽教室で習っていたり、バークリー音楽院で教わったことで、生徒歴も長かったその経験で教えることも、あまり違和感がなかったのだと思います。

 

  • エデュケーターとしての活動で一番大切にしていることは?

 

”エデュケーター”という言葉は私には大袈裟に思いますが、、教えるにあたり、一番大切にしているのは、自分がライブ活動を続けながら、実践的な意見を言えるように!を心がけています。

教えるにあたって、私は3つの考え方に分けているように思います。

1つ目は、大学や専門学校で教えているとき、ここはエデュケーターとして名乗って良いかしら。

将来のミュージシャンが生まれるよう、理論、ルール、自分の経験を教えますが、宿題、テーマを出して学生自らが提案できるようになることを大切にしています。そして、一緒に演奏できる仲間が常にすぐそばにいるのだから、どんどん実験して悩んで、その時のベストを見つけてほしいと考えています。

2つ目は、初心者や趣味で習いに来てくれる生徒さん。

ジャズの楽しさをもっと知ってほしい、体験してほしい、そしてJAZZにより親しく感じてもらうことを大切にしてます。でも同時に体験する際のミュージシャンに対するマナーも伝えます。

セッションに行くレベルになれば『私は素人だから、、』と何でも許されるわけではありませんから。

3つ目は、セミプロからプロで私に習いに来ている方にはアドバイザーとして、Vocal Directorとしてその方の個性を見つつ、時には事務所の方針を聞きつつ、私の意見を提案しています。

 

  • 生徒さんを教えていて最も幸せを感じるのはどんなときですか?

 

私もですが、一歩一歩成長していく生徒さんが、過去の自分のステージを観たり、何か大きな体験をして自分のここまでの成長度を実感し、1つ大きな自信をつけたパフォーマンスが見れた時!!!

 

  • CDを創ることになったきっかけは?

私が子供の頃から憧れていたハーモニカ奏者Toots Thielemans といつか一緒に演りたい!

という夢を叶えるため、彼のホームページからAgent にラブコールを4-5年送り続け実現しました。1曲参加してもらったアルバムが”Bluesette” です。2013年リリースになります。

ラブコールを送り続けて3年目、企画は全然前に進まずTootsのバンドメンバーでもあるピアニストKenny Werner氏にNYでレッスンを受けに行き、その際、『Yoshiko、NYで歌手活動を考えてないならば、せめてNYでレコーディングしたらいいのに、僕がMusicianをコーディネートするよ』と言ってもらったのが大きな前進でした。

よし!来た!と思い、『ありがとうございます!!是非お願いします!!!その際にToots Thielemansにも入っていただきたいのですが!』と人生一番無礼なことを言いました。

でもこれがずっと見てきた夢です。そしてTootsも当時89歳。この機会は逃せません。

Kennyも瞬間ムッとしておられたことは否めませんが、、最終的にはKennyが自分のAgentを紹介してくれて、話をつなげていただき、またKennyが仕切ってくれたことで実現できました。

Kennyは本当に素晴らしいミュージシャンであり、素晴らしいエデュケーターです。

それに、とてもCOOLで、とても自然に常識人で懐の大きな温かい方です。

本当に感謝しています。

 

  • アレンジやその他の準備はどのように行いましたか?

 

アレンジはKennyにお願いしました。何曲かお願いした中で、1曲”Kenny Werner”らしいポリリズム、ポリコードのマニアックなアレンジを依頼しました。『OK!!』の一言でこの曲が一番早くアレンジが仕上がりました。難しかったけど、楽しかったです。

Kenny Werner(P)がコーディネートしてくれたメンバーは。。

Oscar Castro Neves(g)   John Riley(dr),  Daniel Foose(b)

 

  • 選曲やそれにまつわるエピソードなど、教えてください。

 

Toots Thielemansとの思い出は雑誌等でたくさん話したのであえて、なかなか記事にならなかった裏話をここで。

ギターリストのOscar Castro-NevesもManha De Carnavalをアレンジしてもらうことが前日決まりました。彼にLAからNYに前乗りしてもらった夜、お寿司屋さんに行き、素敵なお話をたくさん聞かせてもらいました。

歴史的に有名な1962年カーネギーホールで行われた『Bossa Nova Concert』カルロス・ジョビン筆頭に新しいブラジル音楽”ボサノバ”をNYに!と勝負をかけたコンサート。最年少 の22歳のOscarはそのコンサート楽屋にいるとメディアの人達か、憧れているアメリカのJAZZ MENばかり。興奮してしまい、演奏前に落ち着こうと一人外の空気を吸いに行くと、上から白いモノが。掴んだら、『冷たいんだよ。これは!! ブラジリアンボーイが初めて雪に触れた瞬間。とにかくあの夜は何もかもがNEWでEXCITINGだったんだ!その夜にルイス・ボンファと一緒にManha De Carnavalを演奏したんだよ!、よし!明日までに僕がアレンジするよ!』とウィンクしてくれました。

少年のようにチャーミングでジェントルマンなOscarでしたが彼も私がCD リリースした年に73歳で亡くなってしまいました。亡くなる2ヶ月前までメールでやりとりしていて、『Yoshikoが僕と一緒に演奏したことでそんなに刺激を受けてくれたことは凄く嬉しいよ。僕はね、常にSTUDENTでいたいんだ。若い人からでも新しい音楽を学んだり、刺激を受けたり。Yoshiko、君がずっと学ぶ気持ちを持ち続ければ、いつまでも新しいドアが開かれるよ!』と。

ブラジルからアメリカに渡り、世界的なミュージシャンになった彼のその言葉は深く心に刻みたいと思いました。

 

  • 今後の抱負は?

 

音楽教室を作ったので、皆さんがJAZZに興味を持ってもらえるような、より親しく感じてもらえるようなクラスを考えていきたい。

ライブ経験がある皆さんにも、為になるワークショップを、活躍中のミュージシャンを交えて企画していきたいです。

そういう空間でJAZZ好きということをきっかけに年齢を超えて歌のレベルを超えてお互い情報交換をしたり、励ましあったりして。自然と人と人とのふれあいの場所が作れたらいいなと思っています。そして教える立場の私ですが、Oscarが言ったように同時にその場で人生の刺激を感じたいと思います。

ミュージシャンとしてはレコーディング企画も、考えています。まずは4菅楽器とピアノトリオを迎えて、他にもビッグバンドや、エレクトリック系もとても興味があります。そして色々なミュージシャンから刺激を受け、学び続けたい。 やりたいことはたくさん!!!

この先、私自身も皆さんも色々なことがあると思いますが、「大切にしている音楽」を常に人生の中心にありますように…と思う私です。

 

  • 最後に、ジャズファンのみなさん、他のシンガー・ボーカリストのみなさん、またはJVAJの活動へのメッセージをお願いします。

 

最後までお付き合い、ありがとうございました。

私は今回、先輩の亜樹山ロミさんからバトンを渡していただきました。

ご無沙汰しておりましたが、私のことを思い出し、お声をかけていただいたこと、大変嬉しく思いました。

このJVAJを通して素敵なご縁が広がりますように。どうぞみなさま、よろしくお願いいたします。